2011年5月24日、本学会杉林堅次会長と永井恒司名誉会長が、国際標準医薬分業推進に関する陳情書を細川律夫厚生労働大臣に提出しました。
陳情書の内容は以下リンク先のPDFファイルか本記事のテキストをご参照下さい。
このページの目次
陳情書の内容
陳情書
平成23年4月11日
厚生労働大臣 細川律夫 殿
社団法人日本薬剤学会会長 杉林堅次
わが国の新しい薬学教育制度で薬剤師養成課程が6年制に移行し、2012年には新制度による最初の薬剤師が世に送り出されます。これは薬学の歴史で画期的なことであると言えます。一方、近年医療における数々の薬剤投与過誤の実例が報じられておりますが、その多くが薬剤師の関与がないか、あるいは薬剤師による処方監視機構が働いていない場合に見られる事故であります。つまり、医薬分業が不完全であることに起因しております。
わが国の医薬分業は、明治22年(1889年)公布の薬律付則43条により医師の調剤が認められて以来122年に亘り、医師法第22条、歯科医師法第21条及び薬剤師法第19条に示される例外規定により医師が調剤出来るという、先進国で例を見ない、いわゆる任意分業の形態をとって来ました。この例外規定により調剤する医師は、薬学を修めて薬剤師国家試験に合格した薬剤師と同じことが出来ます。しかも、薬学の進歩発展は、例外規定が導入されたほぼ100年前と現在とは格段の差があり、非薬剤師の調剤では患者の安全の確保は不可能であると言えます。この時こそ、6年制薬学課程により新しい薬学を修めた薬剤師を活用し完全な医薬分業を実施して、国民の健康を護る仕組みを構築すべきと考えます。
医師は薬剤師と同じに調剤出来るという先進国では例をみない制度は、わが国の医療の伝統から、生まれたものと言えます。つまり調剤の薬学的意義が充分認識されていなかった前近代薬学の所産といえます。アジアで漢字を使う国民の間では、”薬師”という言葉が使われていますが、わが国だけは、”薬剤師”という呼称が生まれて今日に及んでおります。”薬剤師”は医療人と言うより、物品としての医薬品を管理する職能人という意味合いが強い感があります。6年制薬学課程により新しい薬学を修めた薬剤師が、医療法に掲げられた”医療の担い手”の役割を遺憾なく果たすためにも医薬完全分業が実施されねばなりません。
国際的な一般則として、ジェネリック医薬品について、薬効成分の選択は医師の処方権に属し製剤の選択は薬剤師の調剤権に帰属することは、1997年の国際薬学連合(FIP)年会において決議され、WHOや世界医師会もこれに同調しております。しかるに、わが国では依然ジェネリック医薬品の代替調剤は処方医の許可が必要です。このように、医薬不完全分業が医療の場で目立ちます。関連して調剤行為の範囲も、後述するように、「医師の処方せんのレビュー」と「薬剤調製・交付」との両方から成るという認識が強まってまいりました。去る2011年2月10日東京地裁において、薬剤過剰投与による死亡事件に対し、薬剤師が担当医に確認する注意義務を怠ったとして、薬剤師にも医師と同様に賠償命令の判決が言い渡されました。これは薬剤師の調剤行為に医師の処方を監視する義務が含まれていること示した判決であります。例外規定による医師の調剤には、このような監視機構はなく、患者の安全は保障されません。通例、医師の処方に対し薬剤師が注意するという習慣はわが国では欧米先進国のように確立されておりません。その理由は、医師は処方せんを発行せずに調剤できるという上述した医薬任意分業制度(例外規定により医師が調剤できる)が今日に至るまで続いて来たからであります。この意味からも確実に処方せんを発行し、薬剤師の監査を経る医薬完全分業制度が不可欠になります。
医薬分業に関する海外事情について、韓国では2003年に強制分業が達成されました。そのとき医師団による反対行動があったことが報道されましたが、覆す結果には至りませんでした。
患者の安全を保証するため、不完全分業を一刻も早く改善することが必須であり、社団法人日本薬剤学会は、科学を基盤に、現存のわが国の医薬任意分業制度から当該例外規定を削除し、国際標準的な医薬分業制度(”医師が処方し、薬剤師が調剤する”)に改正するよう陳情書を提出させていただく次第であります。
1. 陳情の要旨:現行制度を国際標準的な医薬分業へ改正するよう陳情
医薬分業(完全分業或いは強制分業とも言います)は、既述のように、”医師が処方し、薬剤師が調剤する”ことを意味します。この制度はヨーロッパで、シチリア王国の王フレデリックII世(後にドイツ国王)の勅命により1240年に法制化され、771年の歴史があります(注1)。そして、これが最も国際標準的な医薬分業制度になって今日に至っております。
わが国では、明治維新により医制が導入された当初、医師の調剤は認められておりませんでしたが、その後「医師は自身の患者には調剤できる」という提案がなされて受け入れられ、医師法第22条、歯科医師法第21条及び薬剤師法第19条の例外規定(ただし書き)が追加されました。これは、その当時、調剤行為が完全に軽視されていたことを如実に示しております。結論として医師・歯科医師は調剤出来ることになり、このことは今日までほぼ100年に亘って変わりはありません。つまり、分業するかどうかを医師・歯科医師自身が任意に選ぶことが出来るところから”任意分業”とも呼ばれ、日本の特殊な医薬分業を象徴する言葉になっております。任意分業の問題点として、医師は、薬学を修めておらず薬剤師資格もないのに、薬剤師と同じことができることです。この場合、薬学の適正な知識技術の恩恵が患者に充分に届かないことになります。
上述のように、わが国の医薬任意分業では医師・歯科医師の調剤が認められ、国際標準的な医薬分業とかけはなれております。そこで、陳情者は医師法第22条、歯科医師法第21条及び薬剤師法第19条の例外規定(ただし書き)を下記のように削除して、世界に通用する医薬分業制度に改正することを提言するものであります。これは極めて普遍的で、人類が叡智により構築した医薬分業により、国民の生命と健康を護るためのものであります。
- 医師法第22条(処方せんの交付)(案)
- 医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投与する必要があると認めた場合には、患者又は現にその看護に当たっている者に対して処方せんを交付しなければならない。
- 歯科医師法第21条(案)
- 歯科医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投与する必要があると認めた場合には、患者又は現にその看護に当っている者に対して処方せんを交付しなければならない。
- 薬剤師法第19条(調剤)(案)
- 薬剤師でない者は、販売又は授与の目的で調剤してはならない。
2. 医薬完全分業により医師・薬剤師相互監視の強化
本来、薬剤師の調剤権は「医師の処方せんのレビュー」と「薬剤調製・交付」とから成ります。しかるに、わが国では医師の処方せん通りに「薬剤調製・交付」するだけが調剤であるかのごとく捉えられています。このことから薬剤師でなくても医師なら「調剤」ができ、任意分業に発展したのであろうと思います。
“To error is human”という言葉があり、人は間違えることから逃れられません。そのため同一人によるチェックの繰り返し(ダブルチェック)がよく行われます。それでは完全ではなく、更に間違いを限りなくゼロ(ZD, Zero Defect)にするために、異なる2人によるチェックが行われます。これが”クロスチェック”で、人類が叡智により編み出した手法であり、医薬分業の大前提です。
医薬品の製造においては、GMP(医薬品の製造と品質管理に関する基準)により製造部門と品質管理部門は完全に独立してクロスチェックを行い、ZDを目指した相互監視機構が法制化されております。同様に医療の現場において薬剤師の調剤行為として行われる処方せんのチェックは、まさにクロスチェックであり、”医療ZD”に向けて構築された相互監視機構つまり医薬完全分業であります。ここに薬学・薬剤師のアイデンティティが存在することは間違いありません。
3. 医薬完全分業により薬剤師のEthics(薬剤師倫理)の高揚―医療全体の質的向上
上述のように、薬剤師は患者の安全確保のため、医療における言わば監査役として、医師の処方せんをチェックします。しかし、その薬剤師をさらに監査する者はおりません。そこで、薬剤師の行為をチェックするのは薬剤師自身の倫理(Ethics, 薬剤師倫理)であります。つまり、過失をゼロに抑え、患者のために最善を尽くすという薬剤師の倫理観が拠りどころになります。
Ethicsの語源は薬剤師倫理のことであり、これは薬学用語であります。このことは、薬剤師のチェックを経る医療用の医薬品のことを”Ethical Drugs”と呼ぶことからも納得できます。 つまり、”Ethics”は薬剤師の生命であり、医薬完全分業と不可分の関係にあることを物語っております。医薬完全分業は医療全体の倫理の高揚をもたらすことになります。
注1) “A History of Pharmacy in Pictures” Copyright © 1953. Robert A. Thom.
所蔵: Parke, Davis & Company, 複写所蔵: 名城大学薬学部薬学教育開発センター